2012年12月15日

体操・リオへの道

水鳥体育館の次男

今年五月に現役を引退。
水鳥寿思氏

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以下は公演内容です。







幼少期
実家の水鳥体育館で体操を始める。

普通のお子さまよりは練習しやすい環境ではあった。

しかし、体操仲間では一番からだが硬い。父からは
諦められていた。他の五人の兄弟からは遅れを
とっていた。体操が上手くなって父に認められたい
反骨精神が芽生える。自分の存在価値をみつけたい。


苦しい場面での原動力となった。


体操が上手になるために体操の名門、関西高校へ。

厳しい指導・競争があり、そのなかで自分の体操の
基盤ができていった。高校選抜大会で全国二位に。

日本体育大学へ。

一年生からギリギリレギュラーに。しかしその年右足大腿骨
骨折を試合中に。富山の大会で。

一人取り残される形で手術・入院。6?の体重減。
肉体的・精神的にダメージを受ける。
体操を続ける意味がわからなくなってしまった。

三ヶ月ほどやる気のない生活を送る。しかし大学
一年生。決められたリハビリメニューを仕方なくも
こなすことになった。
再びやる気を回復できたのは、ケガの回復とともに
体操ができることが当たり前だったけれど、体操が
できる喜びを感じることができた。また周りの励ましを
うけ、家族・仲間・監督、本当に支えてもらった。


たくさんの励ましのことばが徐々にからだに染み込んで
いった。体操の日体大にいるのに、一人だらしないのは
大変恥ずかしいことだ。

やっぱり自分は体操が好きなんだ。


大学四年生でアジア大会日本代表になるが大会直後の
試合で左膝前十字靭帯を断裂。

体操選手にとっては前十字靭帯を切るということは
引退宣告に等しい。しかし、周りのスタッフは
オリンピック出場を見据えて全国一のドクターを
探してくる。諦めでなく、もう一度夢の挑戦へ。

このリハビリ期間はメンタルトレーニングも取り入れ
復帰への足掛かりをつかんでいくことになる。

基礎体力と目標のたて方、イメージの仕方、気持ちの
コントロール能力が身についた。

自分のプランを信じ、自分の力を信じようとした。

技成功のイメージ、試合で自分の取り組みをイメージ。
練習中に回数をやらなくても習得できるように
会場のなかで演技するイメージ、一日の一連の
流れのイメージを作り上げた。何回もイメージすることで
刷り込みができていった。客観的に自分を見つめる
ことができるようになっていった。不安の縮小化。

自分のためにオリンピックに行きたかったけれど、
日本代表になったことで、他の選手と見比べて
チームの中で認められるようになりたい。存在価値。
このチームの中では吊り輪が弱い。自分自身はあまり
得意ではないが、チームとして弱点といわれた
吊り輪に自分の役割を見つけ強化した。

結果的にその吊り輪で日本がトップの得点をマーク、
逆転優勝、金メダルを勝ち取ることができた。


オリンピックを通じ、偉業を成し遂げた人が必ずしも
特別ではなく、日々の積み重ねや叶えたいと言う気持ち
考え方が大事。逆境を乗り越えたら、ものすごく
力が身に付く。夢や目標は生きる活力になる。多くの
人に感謝したい気持ちになった。達成してから
次の目標ができていった。
  

Posted by フィットネス企画ver at 15:13Comments(0)